初期は内八文字という足の運び方だったが、外八文字が考案されてからは外八文字に変わっていった。一歩踏み出しては半歩下がるため遅々として進まなかったらしい。八文字の踏み方は3年は稽古しなければさまにならなかった。最初は普通の低い草履や下駄を履いていたが、高下駄が流行るようになりだんだん高くなっていき20cmもの高さに及んだ。
花魁は道中の時は腹側に大きな飾り帯をつけ、着物の上に豪華な打掛を3枚も着たため衣装だけでも30kg位になったといわれる。さらに、紋日(もんび)といわれるハレの日にはそれらの衣装を新調しなければならず、資金集めが大変だった。
浅草の三社祭(5月)では「花魁道中」が再現される。あと、日光江戸村でも見られるらしい。
-お江戸吉原ものしり帖より-