私の子供の時からの愛読書の “パパ ユーア クレイジー by ウィリアム・サローヤン” の紹介、前回は食べることを語り始めると、問題はすぐに口や胃の腑から離れてしまうという部分を紹介しましたが、今日は「世界を理解する力」について書かれた箇所を紹介します。
「あなたが僕くらいの齢だった頃のことを僕に話して」
「私はなんにも理解できなかった」僕の父がいった。「誰に訊ねればいいのかも判らなかった。どう訊ねればいいのかも判らなかった。訊ねなかった。ただ待っていた。ちょうど私は眠っていたようなものさ。不思議な、そして素晴しい夢を見ながらね。そう、私はいつも思ったものさ、僕は賭けてもいい、今になにもかも良くなるんだ、って」
「良くなった?」
「そうだね、良くなった、と私は答えよう。私が夢見ていたよりは遥かに良くなったね」
「それはあなたが何かを見つけたから? お金を見つけたから?」
「いや。別のものだ」
「何なの?」
「世界を理解する力さ」
「あなたはいつそれを見つけたの?」
「私が本当にそれを見つけたのは私が十二の時さ。でもね、私は最初から、多分、それが見つかるはずだと見当はつけていた。そして、或るものが見つかるはずだと思い続けることは、 実際に見つけることとほとんど同じくらいにいいものなんだ。完全に同じくらい、とはいえないにしてもね。そのためには非常に辛抱強くなくちゃいけない。探し続けなくちゃならない。なにもかも混乱してどんどん判りにくくなっていってもね。でも、一度発見してしまえばもう―それはもうお前のものなんだ。お前はそれをどんなに素晴しい使い方で使おうとしたっていいんだ。どんなに素晴しくでも使うことができるんだ」
「あなたはどんなふうに使ったの? 父さん」
「ウン、私はそれを使い終ってしまったわけではないんだよ。使い終ってしまうなんて、私は考えたこともない。今まで私は随分いろんな使い方でそれを使ってきた。主に書くことにだが」
「あなたは料理の本を書く時にもそれを使うつもり?」
「使うつもりだ」
「父さん、世界を理解するって、どんなことなの?」
「そう。私はお前に教えてやりたいと思うよ。だけどね、実をいうとね、それは誰も他の人に教えることのできないようなことなんだ。父親が息子に教えることすらできないんだ。自分でそれを見つけた時にお前にも判るだろうよ。必ずお前には判るよ。それはこの世で一番素晴しいことなんだ」
世界を理解する力を12歳の時に見つけたと書いているので、随分早いなと思いますが「世界を理解する力」を見つけることは確かに生きるのに役に立つと思います。
以前、ある方より「世界を平和にするにはどうしたら良いのか?アートで世界を平和に出来ると思うか?」などと聞かれたことがありましたが、私は正直アートには世界を平和にする力は無いと思っているし、世界を平和にすること自体も相当難しいと思っています。つまり、どうしたら世界が平和になるのかは誰でも分かっているのに、それを実践するのもすごく難しいという事も誰でも知っていると思うのです。
ただ、ここに書かれている「世界を理解する力」とは、自分の周りの世界を受け止めて世の中と折り合いをつけていく方法を見つける事だと思うのですが、アートと言うのはその「世界を理解する力」を見つけるための助けにはなると思います。
作品を見ることにより、世界の他の場所に住んでいる人々の、自分とは異なる様々な考え方を垣間見ることにより、物事に対する見方が広がり、色々な事への許容範囲を広げることが出来ると、その分生きることが楽になると思います。
また、常に色々なものを見て「世界を理解する力」をアップデートする事で、それは永遠に使い切る事の出来ない力として蓄積され、一生使い続ける事が出来るようになるのです。
私自身の「世界を理解する力」が一番増えたのは上海に住んでいた時だと思います。何もかもが日本とは正反対な環境にいたので、最初は意味が分からず混乱しましたが、受け入れることが出来るようになると物事への不必要なこだわりが減ってその分自由になれたと思います。
というわけで、”パパ ユーア クレイジー by ウィリアム・サローヤン“の本、古本でしか手に入らないし人気の為価格も上がっていますが、興味のある方は読んでみて下さい。図書館にもあるかもしれないので、買わなくても読めるかもしれません。紹介したもの以外にも随所に名言が散りばめられています。