興亡の世界史00 人類文明の黎明と暮れ方 青柳正規 講談社より↓
”日本のバブルが崩壊した一九九〇年以降、経済学者を始めとする識者はみな一様に「日本は停滞期に入った」と指摘した。たしかに九〇年代に入って日本の経済成長は鈍化したが、依然として世界第二位の経済大国であることに変わりはない。すると、あまり変化を好まず平穏に暮らしたい人にとっては、この状況は決して悪いことではない。「停滞期」というから、このままではいけないと力み返ることになるのであって、「安定期」といえばいいのである。
ところが、現代人は成長の呪縛からなかなか逃れられず、ことに経済の世界では、前年と同等の業績であることは停滞とみなされ、由々しきこととされる。しかも経済分野は結果や予測が数値化されやすく、それゆえに人々に対して説得力を持つ。数字で示されると人はああそうかと納得するが、そこにじつは大きな落とし穴がある。数値化されないところに、重要なものが隠れているからである。”
図書館で歴史の本で面白いのがないかなあと探してみたら良い本があったので読み始めました。全部で21巻あります。序章に早速良いことが書いてあったので引用してみました。
前々から何故に経済というものは常に成長し続ける必要があるのだろうか?と思っていて、数字として見える成長よりも実際に人々が満足しているかということが大事な筈なのに、実体の無い数字を追い求めて過労死するまで働いたり、忙しくてやりたいことが出来なかったりするような状況は果たして成長と言えるのだろうか?と思うのです。
私自身も毎日終電で帰るくらい忙しい生活と、のんびり必要な分だけ働くような生活の両方を経験したことがあります。すごく忙しかった時は早く仕事を終わらせて作品作ったり遊びに行ったりしたいのに!と思ってた記憶があります。ただ、若い時に忙しく働いて身につけた技術とかノウハウがあるからこそ今のんびり働くことが出来ている部分もあるので、あれはあれで役に立ったなとは思います。
個人的には、仕事が大好きでたくさん働きたい人は働けば良いし、仕事は程々で他のことに時間を使いたい人はそうすれば良いと思います。あと、会社にはどちらか一種類のタイプの人間しかいないよりもどちらのタイプも揃っていたほうが結果的に絶妙なチームワークが発揮されるので、世の中にはどちらも必要なのです。要するに、どちらのタイプの生活に自分がより満足感を得られるのかということを考えて、他人の意見や余計な情報に惑わされること無く自分の生活スタイルを選んで実践できるということが大事なのではないか?と思います。
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