江南の庭 中国文人のこころをたずねて という本を友人に勧められたので読んでみた所、面白かったのでその本について書いてみます。
江南地方とは江蘇省南部から浙江省北部にかけての地域の事で、現在の世界遺産である水郷の街”蘇州”を中心に、文人による庭づくりがとても流行した地域でした。
この本では、拙政園・留園・網師園・滄浪亭・獅子林(蘇州)、寄暢園(無錫)、痩西湖・个園・何園(揚州)、豫園(上海)について紹介しています。私自身は無錫と揚州以外の庭は全部行っているので、結構庭好きではあると思います。
この本が一般的なガイドブックと違うのは、主に庭の歴史的・思想的背景について述べられているという点です。例えば蘇州の”拙政園”を造営した王献臣は明の時代の官僚で、裁判官であったが、実直な性格であったため賄賂を受け取るのを拒否し、3回も左遷され、3回目で嫌になってそのまま辞表を出して故郷の蘇州に帰って庭造りを始めた、など、現地で庭を見るだけでは分からない面白い逸話が色々載っています。
文人の庭とはどういう物かというと、権力思想への反動として官僚の間にも老子や荘子による隠遁思想が流行したものの、実際の官僚たちは隠遁生活をするわけにはいかないので、プチ隠遁をする場として、自宅の近くに庭を造るのが流行ったそうです。どのくらい流行ったかというと、江蘇省の南部に太湖という巨大な湖があり、庭に置くための石をここから採っていたのですが、採りすぎて無くなるほどだったそうです。
中国の文人はその胸中に、車のアクセルとブレーキのように、権力思想と隠遁思想という相反する二つの思想を共存させています。たとえば、彼らは隠遁しても(日本の世捨人とはちがって)けっして功名の志を捨てることはありません。もし捨てたら、世間もまた彼を隠者とは認めず、単なる世の落伍者とみました。こうした二重思想をもつ中国文人の特異性は、彼らの庭づくりの上にも色濃く影を落とさずにはいられませんでした。
中国の庭の歴史をみると、まず最高権力者の権力思想を反映した宮苑があり、次いで文人の隠遁思想に根ざした文人の庭が生まれましたが、このまったく異質の二つの流れは、あたかも文人の二重思想のように、それぞれ独自の発展をとげることなく、ともに共存してきました。
と、この本にも書いてあります。時には政治批判が許されない恐怖政治、時には異民族国家による支配等、官僚とは非常にストレスが溜まる職業であり、隠遁する場としての庭を求めたというのはとても理解できます。
文人の庭は―①庭主の隠者としての心情を表現するため、②あるがままの自然の景を用い、③住まいとは切り離された場所に、④庭主自身がつくる
という不文律があるとも書いてありました。
①は、例えば、科挙に合格して官僚になって順風満帆のはずなのに、突然陥れられて左遷される、というような事が良くあった時代に、庭に造られた山や谷によって人生の浮き沈みに翻弄される庭主の心情を表現していたり、といった具合です。
③は、これらの庭の中には各所に塔や東屋的な建物があるのに、生活感が全然無く、庭主たちはどう生活しているのだろう?と思っていたのですが、元々文人の庭は生活空間から切り離された独立した空間として捉えられていたそうです。例えば、家の隣に庭を造ったとしても、間は塀で区切り、専用の門を使って出入りをするという造りになっています。
唯一”網師園”のみが、敷地が小さいため建物の中に庭が設けられるという回遊式庭園となっており、京都の寺院の庭と構造的に似ているため、日本人は”網師園”が好きな人が多いそうです。私も”網師園”はとても落ち着くので好きです。
④庭主自身がつくる、については、庭主の心情を表すため、庭の構成については庭主自身が考案していたという事です。ただ、実際は設計図を描く必要があるため、造園の心得のある絵師や庭師が手伝ったりしていたそうです。
これらの庭は、時代を経て、持ち主も度々変わり、建造当時のままの姿を残している訳ではないのですが、是非江南地方に行く機会があれば訪れてみて下さい。
例えば、もし蘇州で1日観光する場合、私的には構造的にも大きさ的にも対照的な、”拙政園”と”網師園”をお勧めします。”拙政園”の西側には盆栽コーナーもあり、盆栽のくせにすごく大きくてびっくりするので、そちらも余裕があれば見てみて下さい。
江南の庭 中国文人のこころをたずねての本、行く前に読んでおくと庭を見るのがより一層楽しくなると思いますし、庭や建築好きな方にもお勧めです。
私はまだ行った事が無い無錫と揚州に行ってみたいなと思いました。