A State of Mind (2004) イギリス人監督による北朝鮮映画で北朝鮮について学ぶ

A State of Mind (2004) イギリス人監督による北朝鮮映画で北朝鮮について学ぶ ただのメモ Hidemi Shimura

昨日北朝鮮のマスゲームに出ている二人の女の子のドキュメンタリー映画を見て色々と北朝鮮について勉強になりました。

マスゲームは私もあまり見たことなかったしあまり知らなかったんですけどYoutubeでちょっと探してみたので見たことない人はこちらから http://www.youtube.com/watch?v=N9ZrP40wdlg http://www.youtube.com/watch?v=TvTrWFBdG_Y

当然北朝鮮での映画の撮影は政府の許可が必要なのですがマスゲームが題材と言うことでわりと簡単に許可は降りたそうです。映画に出ていた女の子は政府によって選ばれ平壌市に住んでいる比較的裕福な家庭の子だと思うので、普通の農民の生活などはこの映画からは分からないのですがそれでも北朝鮮の暮らしについて知ることが出来ました。箇条書きにしてみます。

  • マスゲームの新体操部分の子は各学校で特に適正のある子が選ばれ、選ばれるのは名誉なこととされている
  • 選ばれた子は学校が終わった後毎日体操学校にも行き練習する
  • マスゲームに参加するのは子供だけで大きくなったら参加できない
  • マスゲームの直前は朝から晩まで練習が行われる
  • マスゲームが行われる日程は毎年ランダムに決められるが規模も10万人規模から小さいものまで色々である(映画の中のマスゲームは小規模なものだった)
  • 彼女は前に参加したマスゲームでごほうびにテレビをもらった
  • 小規模なものは金正日が見に来ないこともあるがそれで彼を非難するものは当然いない
  • 練習は屋外のコンクリートの上で行われ冬は零下20度にもなるので辛そうである
  • 本番も体育館の木の床の上で行われマットなどは敷いていない

普段の生活について

  • 北朝鮮国民は3つの階級に分かれている-軍人(Army)・知識層(Intellectual)・労働者(Worker) である
  • 外国情勢は知識層にしか知らされない
  • 平壌を見た限りでは食べ物は豊富そうである
  • 街には路面電車が通っている、車は少なめ
  • 北朝鮮の学校でも英語の授業はある
  • 共産革命の歴史も厳しく教えられている-アメリカは北朝鮮に爆弾を落とした諸悪の根源だとみなされている
  • 人々は話し方も穏やかで礼儀正しい、歌や踊りも大好きなようす
  • テレビにはチャンネルが1つしかない
  • 各家にはラジオが備え付けられており時々プロパガンダニュースなどが流れる-ラジオの電源を切ることは許されていない
  • 平壌市内でも夜は停電する事がある-停電になると「あの冷血なアメリカ人め!」と罵ったりする
  • 当然ながらパソコンやインターネットもない
  こうして書いてみるとひどい環境で暮らしているみたいに感じられるけど、実際は映画の中の北朝鮮の人々は素朴で素直な素敵な人達で幸せそうにも見えたので考えさせられました。確かに私たちから見たら北朝鮮はひどい国で人々はマインドコントロールされている訳ですが、外の事情を知らない彼らにとっては今の生活が幸せなのかもしれません。おそらく北朝鮮の人々が今の外国の発展振りを見たらショックで受け入れられないでしょう。中国でも急速な発展が人々に与えるストレスが問題になってますが、北朝鮮の場合はショック死するほどのストレスになるかも知れません。
  人々は政治的なイメージなどでその国を判断しがちで、おそらくたまたま北朝鮮人に会ったりしたら偏見の目で見てしまう人も多いと思う。しかし、ある国が悪い評判を得た場合、たいてい悪いイメージを植えつけているのは政府であって、一般の人々はやはり善良で正直な人々のままなのにそれを忘れてつい偏見の目で見てしまったりする。やはりどこの国でも、たとえ北朝鮮であっても、生活の中心はごく普通の人々なのである。この映画を見てその点に改めて気づくことが出来ました。
  同じく、政府のせいで中国と言う国は偏見の目で見られており、私も中国に住んでいると言うだけでくだらない偏見に満ちた質問などされてうんざり気分になることもあります。だから、こうして映画などで他の国の暮らしを理解することはとても大事だし興味深いことだと思う。
来月は他のサッカーを題材にした北朝鮮映画を上映するらしいです。予定が合ったらまた見に行きます。

現代美術作家 シムラヒデミ
主に刺繍糸を素材に作品を制作するアーティスト。大学でファッションデザインを専攻、卒業後3DCG制作の仕事に就く。
2005年より現代美術作家としての活動を開始。デビュー直後にパリで個展を開催する等順調に海外での活動を広げる。2006年より社員旅行をきっかけに好きになった街、上海へ移住。それほど長く住むつもりではなかったものの、リーマンショックによる画廊閉鎖など予想外の展開に翻弄され、7年近く住んでしまう。
2013年12月日本帰国、埼玉県所沢市在住。引き続き現代美術作家として活動。現在、2025年のアーティスト活動20周年の為に作品を作り溜めている。

このブログではアート・文化・歴史に関する考察、自身の活動報告等を投稿しています。
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