LAの火災は非常に辛い出来事ではあるのですが、そういえば私の子供の時からの愛読書である “パパ ユーア クレイジー by ウィリアム・サローヤン” はマリブを舞台にした小説だったなーと思いました。私はこの本を何度も読んでいて、私に深い思想的影響を与えた本なので、そこから特に気に入っている個所を2か所紹介します。
その前に、作者のウィリアム・サローヤンについて、アルメニア系移民の子でカリフォルニア州フレズノ生まれで、父親を早くに亡くし7歳まで孤児院で育ち、その後実の母親に引き取られる。高校卒業後さまざまな職を転々としながら作家を志し、26歳で作家としてデビューをする。という経歴で、庶民に対する温かいまなざしを感じさせる文章が特徴です。
私は彼の小説により、アルメニアという国の存在とアメリカは移民の多い国家であるという事、アメリカンドリームが象徴するようなキラキラした側面ばかりがアメリカでは無いという事を知りました。
“パパ ユーア クレイジー”はマリブの海辺に住む作家の家が主な舞台で、パシフィック・パリセーズの別居中の母親のもとで生活していた10歳の息子が、一時的にマリブで父親と暮らすことになり、日々の暮らしの中で生じる息子からの様々な問いと、それに対する父親からの哲学的な答えが特徴的です。
父親は料理の本を執筆中で、小説内では食べ物に関するエピソードも多く出てきます。以下は、なぜ料理の本を書こうと思ったかについての会話で、私が気に入っている部分です。
「それについては全く疑う余地なしだね。人間というものは、彼の全生涯にわたって、すべてのことに不満足なのさ。 完全に満足ということはないのさ。彼の両親から始めて、彼の世界、彼の時間、彼の国家、彼の政府、やがては彼自身、彼の過去、彼の現在、多分、彼の子供、彼の友人たちとその子供たち―すべてに関して彼は不満足なのさ。なぜならば向上したいということが人間という動物の本性であって、向上しようとするから失敗もする。失敗すれば失敗の原因を突きとめるし、原因が判れば失望するのさ。しかし、われわれが心にとめておかねばならぬことは、人間というものは、失敗の原因を突きとめ、不満足に陥っているような場合にも、彼は同時に非常にいい気分で、少なくとも半分くらいは自分自身を誇らしく思ったりもしているということなんだ」
「みんな混乱しているということ?」
「そう。 みんな混乱しているし、もっともっと混乱してゆくように運命が決まっているのさ」
「どうして?」
「彼は自分自身について学び続ける。そして、彼が学べば学ぶほど、彼は更に更に混乱してゆくのさ」
「あなたも混乱してるの、父さん?」
「私はあんまり混乱してしまったから料理の本を書いているわけなんだ。つまり、私は料理の本を書く事によって、そしてまた読者はそれを読むことによって、少しは混乱を整理できるんじゃないかと思ってさ」
「どうして料理の本にそんな力があるの?」
「だって料理の本というのは食べることについての本だろ? そして食べることというのは人間の生活の最も基本的な事柄じゃないか。だから、食べることをきちんと考えれば、他のこともおのずと整理されてくるんじゃないかと私は考えるわけだよ」
「父さん、食べることはただ食べることに過ぎないよ。ただそれだけのもんだよ」
「いや、そうじゃない。そんな簡単なものじゃない。簡単そうに見えはするけど簡単じゃないんだ。そもそも、食べるというからには、まずそこに何か食べる物がなければならないだろ?するとその食べる物について、一人の人間は沢山持ち過ぎているし、別の人間は足りなくて困っているということが必ず起ってくる。ひいては、第一の国が沢山持ち過ぎて、第二の国では足りなくなり、第三の国では食べる物がほとんどなにもない、というような事態が起きてくる。だからそこにあるのは大規模な飢餓だ。そしてその飢餓は絶えず悪化してゆく。これが一つの大問題なんだ。すなわち、食べることを語り始めると、問題はすぐに口や胃の腑から離れてしまう。食卓やパントリー(食料品室)を離れてしまう。そうして、問題は宗教へ、哲学へ、正義へ、秩序へ、文明へ、文化へと拡がってゆき、気がついた時には、現実と空想たるとを問わず人間のあらゆる生活を貫き通しているのだ」
この本を初めて読んだのは大分昔の事なので詳しく覚えてないのですが、もしかすると私はこの部分を読んだ時に初めて食べるという事の意味について考えたのかもしれません。今でも、結局この世界の様々な問題は「食べる事=人間はものを食べないと生きてはいけない」という事から生じているのではないかと思う事があります。
この小説が書かれたのは1957年で、マリブはまだ高級住宅地ではなかったようで、父親の家も海辺にある普通の小さな家という感じで描かれていますが、周りの街並みや景色の描写も美しく、私もマリブビーチに対して憧れを抱いていたのですが、この度の火事では大変なことになってしまい、早く復興できることを願います。
次の記事では、もう一つの気に入っている個所より「世界を理解する力」について書きます。
“パパ ユーア クレイジー by ウィリアム・サローヤン” 今は古書でしか手に入らないのですが、人気なので価格が上がっています。伊丹十三氏訳でもあり、名著なので再版するべきだと思っています。実際新潮社に再版希望を送ったこともあります。