Hidemi Shimura

Art Random -art memo- 現代美術作家シムラヒデミのブログ

  • 映画 マシューバーニー「拘束のドローイング9」 (とってもネタばれ) 2006-03-06  この手の映画は下手にコメントすると自分の底の浅さとかがあっさりばれるのでできれば感想は述べたくないところ…でも、観ちゃったんだからしょうがない  何か(あとでお茶に使う茶器と判明)を箱に入れて包装してる場面に始まり、お茶会の前の入浴とか、髭剃りとか、阿波踊りの行列とか、船員たちが作ってた巨大な豆腐みたいなのとか、マシュー・バーニーはとっても儀式好きな人ね。  大型船の中の茶室で茶を酌み交すうちに恋に落ちる二人の男女(マシューバーニーとビョーク扮する)。しかし、嵐がやってきて船の中はだんだん浸水していき、そして二人はなんと刀でお互いの足を解体していくのだが…とここまでは、江戸川乱歩の「陰獣」になんとなく似てるなあと思ったのですが。  なんと二人にはジュゴンの尻びれみたいのが生えて人魚になっちゃったのでした。このようなファンタジーな展開になるのか!と思った次第。    足の解体→尾びれが生えるが古いものを解体して新しいものが産まれるという意味だったとすると、ちょっと腑に落ちない。大陸的には古いものを壊した後に新しい文化が生まれるというサイクルが存在してきたかもしれない。日本の場合はちょっと違って古いものが妖怪のように変幻しつつ新しい物になっていくという在り方だから、きっと二人が日本人だったら足が段々尾びれに変形していくという形をとったのではないだろうか。  しかし、もしかしてそこに「日本人よ古い殻を脱ぎ生まれ変われ」みたいなメッセージが含まれてたりするのかなー(いや、たぶんそれはないな)
  • はじめての受注制作 2006-02-26  こないだの展示を見てお友達が作品を買ってくれることになったので、せっかくだから彼女のイメージする色で新しい作品を作ろう!っていうことになった。  どういうことかというと私の作品に使う糸の色は色々な写真を見ながらその中の色を拾って巻いているのでその写真を用意してもらうのです。初の試みなのでとっても楽しみ。  普段は自分できれいだと思った写真を選んで使っているのだけど、作品制作中に細かいところまで見ながらその写真の場所に行った気になったりしながら作ってます。その行為はデッサンする時に対象をしつこく見るという行為にとても似ていると思う。  しかし、他の人が作品を作ってるときに感じるであろう葛藤とか自分との闘いとかそういうのは私が作品作ってるときには一切ありません。前はこんなの作ってもただのゴミになるんじゃないか?とか悩みもしたけど初めて作品が売れてからはそういうことは全然思わなくなったし。今ではまるで中国とかの工場で働いているかのようなひたすら手仕事による無心の反復行為のみがあるのでした。
  • 食べるということを考える 2006-02-19 食は人生の基本といいます、なので今年の抱負は「きちんと食べる」にしてみた訳ですが そもそも食べるということはどういうことなのか? 「パパ・ユーア クレイジー」 ウィリアム・サローヤン 伊丹十三訳  の最も好きな部分、父親から息子への言葉より↓ 「……そもそも、食べるというからには、まずそこに食べ物がなければならないだろ?するとその食べるものについて、一人の人間は沢山持ち過ぎているし、別の人間は足りなくて困っているということが必ず起ってくる。ひいては、第一の国が沢山持ち過ぎて、第二の国では足りなくなり、第三の国では食べる物がほとんどなにもない、というような事態が起きてくる。だからそこにあるのは大規模な飢餓だ。そしてその飢餓は絶えず悪化してゆく。これが一つの大問題なんだ。すなわち、食べることを語り始めると、問題はすぐに口や胃の腑から離れてしまう。食卓やパントリー(食料品室)を離れてしまう。そうして問題は宗教へ、哲学へ、正義へ、秩序へ、文明へ、文化へと拡がってゆき、気がついた時には、現実たると空想たるを問わず人間のあらゆる生活を貫き通しているのだ」  日本人が一生の内食べる食糧はご飯が11万杯、パン7千斤、肉が牛6頭分などなどという量に及ぶそうで、いつだったか人が一生に食べる食料を山積みにした写真を見てあまりの量にびっくりでした。誰でも時々は環境保護とかについて考えると思うのですけど、一番シンプルに考えると地球にとって一番優しいのは人類が滅びることなのよね。人が一人減ると結構な量の資源の消費を減らすことが出来るから、あまりに熱心すぎるエコロジストとかでホントに自殺しちゃった人がいても不思議ではない?  でも誰だってやっぱり生きていたいからどうにか地球と折り合いをつけていく方法を見つけようと頑張る人が沢山いるのだなあと思う今日この頃。今後はそういったことを踏まえつつ心して食べ物を消費してみようかなあと思ったわけです。 http://www.greenjapan.co.jp/pronews21c.htm
  • 写真展「岡本太郎の視線」 2006-02-17 東京都写真美術館にて  岡本太郎というとすごく情熱的でがんがん行くタイプの人のようなイメージだけど、実はものすごくシャイでカメラを初対面の人に向けるなんてとても出来ない人だったそうだ。なので独自に開発した潜水艦の潜望鏡のようなタイプのレンズをわざわざ作って愛用していたらしい。  技術的には写真を撮るのも決してうまいわけではなく、露出を間違えたりフイルム交換する時に失敗してダメにしちゃったり色々失敗も多かったようだ。出来上がった写真は一見淡々としているように見えてひそかな執着が込められているように感じる。  コンタクトプリントを大きく引き伸ばしたものも展示してあったのだが、確かに失敗してるコマも多かった。しかし、失敗ショットも含めたフィルム全体に岡本太郎風味が満載だった。私は写真を撮るのがものすごく下手なのだが(不器用なのでカメラの操作が苦手、しかも乱視でピントが合ってるかよく分からない)そんな細かいことは関係ないのだ!と言われている様で勇気付けられた。
  • 無視したいけど出来ないこと(美大バッシング?) 2006-02-05  RSSリーダーでブログを色々拾い読みしていたらどこかの知らない現代美術作家(ほんとに?)の人が 1、何故アートで飯を食おうとしている人が美大に行くのか分からない。 2、美大なんか学費が高いくせに行っても殆ど役に立たない。 3、公募団体に入る為なら美大に行かねばならないが、コンテンポラリー系の人は行く必要はない 4、美大や予備校が金欲しさに嘘をついてるからか? 5、現代美術は力、資本をうまく繋げる事がポイントで 6、そのことを考えると東大早稲田慶応に行くのが一番有利 とか書いてたんですけど  何という偏った見方!アーティストってもっとシンプルなものよ?  確かに現代美術作家にはプレゼン能力やプロデュース力とかも必要だけど、良いものを作らなきゃ売れないというのはどこの業界でも同じ事。アーティストの第一条件は良い作品を作り続けること!力とか資本やらはその結果として後から付いてくるもの。  私の場合子供の時から家族でどっか行くというと美術館ばかりだったので気付いたら美大に入ってたって感じだけど、そこで学んだことが現在の作品の技法やマテリアルに反映されているので大いに役に立ったと言えよう。とにかく技法に関しては工芸的造形的グラフィック的とにかくたくさんかじってますからね。デザイン課だからちゃんとプレゼン方法とかも学べたしね。  現代美術だとコンセプト重視でテクニックがおろそかにされがちで、もっともらしい理屈こねくり回してる屁理屈野郎が最近やたら多いんだけど  アーティストは手を動かしてなんぼだ!ってことを忘れんな!  豆腐屋がうまい豆腐作らないでどうする?ってのと同じことよ。  あとねえみんな美大入るために予備校で毎日何時間も絵ばっかり描いてるんだけどその経験も決して無駄にはなってないね。私の物に対する観察力は膨大な時間のデッサンによって培われたんだもの。