Hidemi Shimura

Art Random -art memo- 現代美術作家シムラヒデミのブログ

  • 異国の地での表現の自由について 2015-01-24 Art Random -art memo- 現代美術作家シムラヒデミのブログ  Hidemi Shimura今表現の自由とはなにか?どこまで許されるのか?というのが色々議論されていて、そう言えば私も中国で展示の時に作品のタイトルを変えたことがあったなあと思い出しました。 それは、2010年に蘇州の本色美術館でアーティスト・イン・レジデンスで半年間滞在してた時のことでした。滞在の最後に滞在の成果発表のための展示をしたのですが、ちょうどその頃日中関係が悪かったので(何が原因で悪かったのかはちょっと忘れました…)私の作品のタイトル「サイレント・インベーダー」はまずいから変えたほうが良いかもねーと美術館のスタッフと相談し、個展のタイトルそのものを「蘇州色彩 -Suzou Colors-」と変更しました。そして、作品も全部 Suzou Colors シリーズの中の作品ということにして展示したのです。 サイレント・インベーダーの何が問題かって言うと、インベーダーという言葉はインベーダーゲームのイメージで異星人とかじわじわ忍び寄ってくるものというニュアンスがあると思いますが、中国語に訳す時にうまい言葉がなく、漢字で「寡黙的侵略者」や「沈黙的侵入者」などという訳になってしまい、この日中関係が揉めてる時に日本人が「侵略」とか「侵入」とか付いてる作品を展示しちゃまずいだろうということです。 中国でもギャラリーでは結構過激な作品や政治批判的な作品も展示してたりするので、普段はそれほど気にする必要もなかったので名前も変えずに展示してましたが、美術館はギャラリーよりもパブリックな場だし、私立の美術館であっても地元政府との関係もありますからそれらの点を配慮しての判断でした。 タイトルを変えたとしても作品の形態そのものに変わりはないのだし、作品を見て人々が抱く印象がタイトルの違いによって左右されることはないだろうと私は思うので、変えても全然問題無いと思ったのです。しかし、作品のタイトルを変えるなんて絶対やだ!と思うタイプのアーティストにとっては耐えられないことなのかもしれません。 元々、中国に住んでた時は「一外国人として中国に住ませてもらっているのだから、その国の文化・考え方を尊重するべきである」というのが私の考えで、表現に不自由な部分があり得るのは承知の上で中国で作品発表をしているのだから外国人である私がどうこう言うべきではないし、嫌なら他の国へ行けば良いだけだと思っていました。 しかし、もし同じことが日本で起きたらどうだろうか?と考えてみると、なんで日本人が日本で作品発表するのにそんな制限をされなきゃいけないのか?と思うでしょうし、断固拒否すると思います。 とはいえ、私の作品は特に猥褻でもなければ政治的に危険でもないので、日本でそういう事が起きる可能性は低いと思います。逆に言うと、私の作品に対してもしそういう事が起きたら日本の表現の自由は終わりつつあるな…と思ってまたどこかへ引っ越すことになるでしょう…
  • マーク•ロスコと私 2015-01-12 Art Random -art memo- 現代美術作家シムラヒデミのブログ  Hidemi Shimura前に私の作品を見た人から「マーク•ロスコっぽい」と言われた事が2回あったのですが、色数のやたら多い私の作品とミニマルなマーク•ロスコ氏の作品の何処に共通点があるのかさっぱり分からず「????」となったのです。 しかし、現代アートの巨匠という美術出版社から出ている本の中の、マーク•ロスコ氏の言葉を読んでなんとなく分かりました。 「絵を描くことが自己表現に関わると考えたことは、これまでに一度もありません。絵とは、自分以外のひとに向けた世界に関わるコミュニケーションにほかなりません。」 とか 「アーティストのなかには、懺悔でもするように、何もかも語りたがるひとがいます。わたしは職人ですから、話はあまりしたくありません。」 など の言葉から、なんとなく作品から自我が排除されている所が似ているのかもしれない、と思いました。 しかし、マーク•ロスコっぽいと言った人たちは、私の作品だけを見てすぐに、作品のコンセプトとか説明は一切読んでない状態で言ってたので、作品だけ見て一瞬でそこまで分かっちゃったという事で、恐ろしい洞察力の持ち主だと思います。 こんな感じで作品について言われた事の意味がすぐには分からなくて、何年も経ってからやっと分かることが時々あります。 美術愛好家の人々の中には大量の作品を見たことにより凄い観察力や知識を持っていて、びっくりする感想を言われる事も多々あり、作品について自分でも気付いてなかったことを気付かされる事もあります。    
  • 版画は「半画」なのか? 2015-01-04 Art Random -art memo- 現代美術作家シムラヒデミのブログ  Hidemi Shimura先月ある現代美術のトークショーに行ったら、最後の質問タイムで若い版画家の女の子が、「ある人に版画は半画と言われるように芸術作品としては中途半端なのでやめたほうが良いと言われて、画家に転向しようか悩んでますがどう思いますか?」みたいな内容の質問があってすごく驚きました。 まず、版画は立派は芸術作品の1ジャンルであり、素晴らしい作品も沢山ありますから、決して半端な存在では無いですし、私も版画は大好きです。 確かに版画は一点物のオリジナル作品に比べてエディション数が多く希少価値は下がるのかも知れませんが、敢えてプリント数を少なくする事でオリジナル作品として制作する事も可能です。(棟方志功氏は摺った後の版に切り込みを入れてしまう事によって版を再利用出来なくしていました。) 何よりも「版画は半画」とか言っちゃう無神経さと、それを若い芸術家が聞いたらどう感じるかへの思いやりの無さに腹が立ちました。 幸い今回質問した女の子は、トークショーのコメンテイターさん達から「版画が好きなら版画を作り続ければいい、だけど、続けるのなら誰にも負けないくらい版画を突き詰めて行った方が良い。」というアドバイスを得て励まされたようなので良かったです。 若いうちは誰でも素直で純粋なので人の意見を信じてしまうものだろうと思うけど、作品を何年も発表していると、的はずれなアドバイスとか批評とか言ってくる人なんて山ほど会いますから、その度に一々間に受けて悩んでたら身が持ちません。 だから芸術家としてやって行きたかったら、自分の作品に対する揺るぎない自信、根拠のない自信が必須です。 と、いう訳で、私の年賀状は木版画にしてみましたが、やはり難しかったです。 版画には高度なテクニックが必要で、絶対に「半画」などではありません!      
  • 天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々 メイソン•カリー著 2014-12-31 Art Random -art memo- 現代美術作家シムラヒデミのブログ  Hidemi Shimurahttp://www.amazon.co.jp/天才たちの日課-クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々-メイソン・カリー/dp/ 著者のデイリールーティンという名のブログを元にまとめられた本、作家、芸術家、作曲家、学者など161人がどのように時間を管理し、創作活動の為の時間を取っていたかをリサーチして短くまとめてあります。 著者がフリーランスのライターなので文筆業の人についての項目がかなり多め。 161人の中には、書くことを専業にしていた人、生涯他の仕事をしながら創作活動をしていた人など様々で、朝型の人、夜型の人、午後型の人など色々です。 意外なことに、毎日コツコツと一定の時間を創作に費やしている人が多く、インスピレーションが沸くのを待ってから創作を開始するというタイプの人は少ない。 作家は大体一日に集中して書けるのは3時間くらいらしく、その他の時間は他の仕事、家事、リフレッシュ、アイデアを練る事に使われるようです。 私を含め、美術作家は文筆業に比べて短時間集中型ではないので、もう少し長時間制作に集中する事が可能ですが、他の仕事もしている人がほとんどなので、長時間集中出来る時間を作るのが大変だとよく聞きます。 なので、頭のスイッチを短時間で切り替える自分なりの方法を持っているかが大事で、この本によると、散歩をする人がかなり多く、その他水泳やエクササイズなど運動する人、コーヒーがぶ飲みで集中力を保つとか、行き詰まったら倒立するとか色々です。 私がなぜこの本に興味を持ったかというと、私の作品は細かいので展示前の切羽詰まった時でも一日5-6時間以上作れない上に(それ以上頑張るとヨレヨレになります)、元々睡眠時間が長くないと持たない体質で一日7-8時間以上寝ないとダメ、一人で本を読んだり考え事をする時間が毎日必要などあまり効率の良くない感じなので、他の人はどうなのか?と思ったわけです。 しかし、この本を読んで、毎日何時間かけるかは問題ではなく、とにかく毎日数時間でも創作に費やす習慣を持つことが大事だなと思いました。というわけで、毎日少しずつでも作品を作っていくしか無いようです。    
  • この世のすべてのものは「ハンドメイド」である 2014-11-29 Art Random -art memo- 現代美術作家シムラヒデミのブログ  Hidemi Shimura 中国で生活した経験の中で1番私の考え方に影響があったのは、蘇州郊外の工業地帯にある本色美術館で半年間アーティストインレジデンスとして滞在した事だと思います。 当時近所のどローカルな食堂とかによくご飯を食べに行っていて、近くの工場で働いてる若者達、おそらく地方から出稼ぎのような感じで来ている人々をたくさん見かけました。 その時私は美術館で滞在最後に開催する個展に向け、毎日毎日何時間も糸をくるくる巻いてひたすら作品を作っていました。それは孤独な作業でしたが、同時に近所の工場で働いてる人々も同じように毎日毎日単純作業をしているのだなあと思い、親近感を抱きました。 そして、それまで自分が普段使っている物がどこでどのように作られているか、頭ではなんとなく想像した事はあっても、本当は全然理解していなかったのだという事に気付きました。 たとえとても安い値段で売られている工場で大量生産されたものでも、それを作るために手を動かしている人達が大勢いて、安い賃金で働いてたりする訳です。工場労働者の事はニュースなどで見て知ってるつもりになっていたけど、上海にいた時は会う機会も無かったので、なんとなく他人事みたいな感じだったのです。それが蘇州で身近に感じた事により、私たちが普段使っている物はたくさんの人々の手によって作られているのだなあと実感しました。 たとえ、ほとんどが機械で生産されているようなものでも、その機械を作るためには人々の労働力が必要なわけで、そう考えると元を質せばこの世の中のすべてのものはハンドメイドであると言えるのではないか?と私は思いました。そして、自分の暮らしがそんなに多くの人々によって支えられているのだということに気づいた時、突然自分の暮らしがとても豊かなものになったような気がしました。 それ以降、商品の裏側にいる物を作った人のことを考えると「安いものでも大事に使おう」とか「ちょっと高いけどこっちの丁寧に作られている感じのものを買おう」とか思うようになり、ものを買う時に更に考えてから買うようになりました。更に、物を大事にするようになると、たとえ多くのものを持っていなくても満足感を得られるようになるので、「欲のない暮らし」が出来るようになります。 あと、私は以前3DCG制作の仕事をしていたので特に思うのですが、一般的にコンピューターで作られたデジタルなものの価値が軽んじられている感じがしますが、デジタルなものだって手作業で作るものと同じく手間暇をかけて作られているので、私に言わせればあれらも「ハンドメイド」に入ります。 中にはボタンひとつ押せば出来上がるんだろうくらいな感じで勘違いしている人も未だにいるくらいで、日本ではなんとなくデザイナーとかの立場も軽く見られている感じがしますが、自分たちだって立派なものを作っているのだというプロとしての誇りをもっと持って良いと思います。